トップへもどる | |||
時代 | 西暦 | 年号 | お も な で き ご と |
安土桃山 | 1589 |
天正17 |
このころの物で『土崎神父』の字が書かれている棟札 (現存する中で「土崎」の文字がつく最古の物) |
江 戸 |
1604 1614 1620 1660 1675 1705 1734 1755 1771 1789 1814 1818 1821 1830 1854 1866 1867 |
慶長 9 慶長19 元和 6 萬治 3 延寶 3 寶永 2 享保19 寶暦 5 明和 8 寛政 1 文化11 文化15 文政 4 文政13 安政 1 慶應 2 慶應 3 |
湊の町づくりをはじめる このころ湊八町ができる 土崎の鎮守として神明社ができる 穀保町ができて湊九町になる 新町ができて湊十町になる 神明社祭典がはじまる(このころから曳山があったかは不明) 愛宕町ができる 御蔵町ができる 萱村町が生魚売買の家督株を得,その後肴町と言われるようになる 津村淙庵が土崎のお祭りを見物し,紀行文に書く 土崎大火により,お祭が御輿だけになる 上酒田町・新城町の曳山が衝突し,喧嘩になる 新柳町ができる 「廻在諸日記」に土崎港のお祭の話が記録される 本山町に,町を守るための武士が住むようになる 麻木家文書にこの年の統前町小鴨町の記録 清水町・旭町ができる |
明 治 |
1878 1883 1889 1892 1900 |
明治11 明治16 明治22 明治25 明治33 |
イサベラ・バードが曳山行事を見物し紀行文を書く 「羽陰温故誌」に祭礼の記録をのこす 相染新田村を土崎に入れて,土崎湊を土崎港町とよぶようになる 加相囃子がつくられる 新城町の曳山の写真 |
大 正 |
1913 | 大正 2 | 神明社300年祭がおこなわれる |
昭 和 |
1931 1941 1943 1944 1947 〃 1948 1955 1956 1960 〃 1962 1963 1974 1979 |
昭和 6 昭和16 昭和18 昭和19 昭和22 〃 昭和23 昭和30 昭和31 昭和35 〃 昭和37 昭和38 昭和49 昭和54 |
曳山で,はじめておどりが披露される 南秋田郡土崎港町が秋田市土崎港になる(3月13日) 戦争により,曳山は昼間だけになる 戦争により,曳山がとりやめになる 戦後,曳山が復活する 土崎港ばやし“港和会”ができる 壹騎町二区はじめて曳山を奉納 土崎港ばやし“娯笑会”ができる 土崎港ばやし“しぶき会”ができる 神輿の渡御が車で行われるようになる 統前町を受け持つ町内が九区分になる 相染町の御旅所が正式に神明社のものになる 神明社350年祭がおこなわれる 土崎港ばやし“若波会”ができる 港北町はじめて曳山を奉納 |
平 成 |
1990 〃 1993 1994 〃 〃 1997 1999 2001 2003 2006 2007 2008 2010 2017 |
平成 2 〃 平成 5 平成 6 〃 〃 平成 9 平成11 平成13 平成15 平成18 平成19 平成20 平成22 平成29 |
鉄道社宅はじめて曳山を奉納 「芸題」を「外題」に統一 「土崎港祭りの曳き山行事」が「秋田市無形民俗文化財」に指定 ポートタワーセリオンオープンに,曳山が奉納される 南幕洗川はじめて曳山を奉納 「土崎港祭りの曳き山行事」が「秋田県無形民俗文化財」に指定 「土崎港祭りの曳き山行事」が「国重要無形民俗文化財」に指定 若松町はじめて曳山を奉納 ワールドゲームズ秋田大会開会式に曳山が参加 神明社青年会で10mの曳山を運行(9/7) 神明社の大鳥居完成し、一部曳山が鳥居をくぐって参拝 戦後最多の曳山(25台)を奉納 穀保町は第参拾壱號に 稲荷町が戦後初めて曳山を奉納 全国山・鉾・屋台保存連合会総会秋田市土崎大会開催 曳山運行も行われる(9/12・13) ユネスコ世界文化遺産に登録される。 |
令 和 |
2020 2021 2022 |
令和 2 令和 3 令和 4 |
新型コロナウィルス感染拡大防止により曳山奉納中止。神事のみ縮小して実施。 2年連続曳山奉納中止。神事及び神輿渡行は行われる。 様々な制約の下,曳山奉納実施される。 |